バニラスカイに溶けた

アイドルは劇薬だと思うんだ。

その名前を呼びたい。

私には突然現れた彼が彼自身であると確信を持って言える自信がない。私は彼についての断片的な情報を得て彼のことを好きでいるのだけど、それでも私はまだ彼について知らないことが沢山ある。私が実際に目で見たこと以外は、間違った情報もあるかもしれない。だからこれは、4月1日に現れた彼が、私が好きな彼だと仮定する上での話である。

 

最初は半信半疑でブログを読んだ。ポエミーな文章で、ああなんだか担タレというか、オタクもポエミーな人が多いからタレもポエミーな文を書くのかもしれないと思って。一度じゃうまく理解できなくて、何度も繰り返し読んで。でも、結局彼が彼である確信は持てなかった。
そこでようやく気がついた。これは私が知ってる彼じゃないんだ。私が知ってる仲田拡輝くんじゃなくて、役者の百名ヒロキさん。ただ、名前を変えただけ。それなのに、私にとっては全く知らない人のように思えてしまった。

話が少し逸れてしまうが、私が好きな女子アイドルグループが改名したことがあった。特別な推しがいたわけじゃないけど、私はそのグループのことが好きだったし、何よりそのグループ名が好きだった。グループ名の音の響きも、名付けられた理由も。だから改名と知った時は悲しくなったし、今でもこのことを完全に吹っ切れた訳じゃない。所謂「亡霊」と呼ばれるのだろうけど、ここで新しい名を完全に受け入れてしまうと、今まで好きだった元の名を忘れてしまうような、過去のことを否定してしまうような気がする。名を改めて新たに出発した彼女たちのことを応援したい気持ちは山々なのに、素直に喜べない自分が嫌になった。いつまでも過去にしがみついている自分は、とことん性格が悪いなあと思う。

話を戻す。「仲田拡輝」という名前が好きだ。名前を口に出して読んだ時の音の響きとか、拡く輝くという名前の由来とか、「なかたじゃないよ、なかだだよ!」という紹介とか。「仲田拡輝です」と彼が名乗る時の、声のトーンとか、響きとか、なんで好きなのか自分でもよく分からないけど、すごく好きだった。好きになった当初、なんて呼べばいいのだろうと思った。「仲田くん」と呼ぶのはなんだかよそよそしいし、「ひろちゃん」と呼ぶにはあまりに恐れ多いし、「ヒロキ」は私の中のイメージも少しずれていて。結局「拡輝」と呼ぶことが一番しっくりきた。一方的な自己満足だけど、「拡輝」って彼のことを呼ぶのが、そうして彼について話せるのが嬉しかった。すっごく気持ち悪いオタクの思考回路でしかないけど。

彼の場合本名なのだから、芸名以外の場ではこれからもその名前を名乗っていく。ただもう、当たり前のことなんだけど、仕事において「仲田拡輝です!」と自己紹介することはないのだ。自分があまりに鈍すぎて、実感するのが遅すぎたのだけど、もう「仲田拡輝くん」に会うことができない。寂しい、と思った。ジャニーズで活動していた名前ではなく、新たな芸名で再出発したと思う彼のことを応援したい気持ちはある。幸せになってくれなきゃ困る。けど、周りがみんな祝福ムードの中、なんだか自分だけが取り残されてしまった気がして、そんな自分が嫌だなあと思う。なんでジャニーズを辞めたと分かった3月1日より、新たな仕事が決まった4月1日のほうが、気持ちが落ち込んでいるんだろう。

新しい仕事は、ジャニーズのタレントがあまり経験しないであろう小さな劇場の舞台で。キャパ的にも、キャスト的にも、きっとチケットを得るのが難しいと思う。舞台と客席の距離は遠いけどチケットがある現場より、舞台と客席の距離は近いけどチケットがない現場の方が、気持ちの面で私は遠く感じてしまうんだ。ああ、結局自分は彼を応援したいと口で言いつつ、なんだかんだ自分が現場に入って舞台上の彼を見られるかどうかしか考えていないただのオタクなんだと思った。

私がよく知ってる、今までずっと応援していた仲田拡輝くんは、私が知らない遠い世界に消えてしまって。代わりに駆け出しの俳優の、百名ヒロキくんが現れた。そんな感覚。私はまだ彼のことをほとんど何も知らない。知らないから、好きかどうかなんて分からない。